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DIALOGUE

CHIYODAYA

千代田屋さんのこれまでの歴史の中で、今回のプロジェクトを通じて新たなプロダクトを制作することは、どのような意味がありますか?

理由としては「千代田屋」っていう名前がいろんなとこから聞こえてくると信用してもらえるっていうことです。仏壇業界でも千代田屋さん、祭り屋台の千代田屋さん。それでヨーロッパでも商品が出ているっていうように、色々なところで名前が聞こえるようになって信用度を上げたいっていう想いがあります。

デザイナーとのコラボレーションの中で、新しい技術や、新たに取り入れた思考、視点の変化はありますか?

まずね、ヨーロッパに仏壇はあるのかって聞いたら、ないと。じゃあ、家で先祖を祀ったりすることはあるのかっていう話をして、どうやらなさそうだぞと。家で何かをするっていうのは、デザイナーさんは聞いたことがないなって言っていた。おそらく、故人の写真を見てお酒を飲むぐらいじゃないか、っていう感じだったんです。

今回、バニティボックスを制作するに際して、日本の文化を提案するっていう中で、亡くなった先祖、お父さんやお母さんを想う時に、このボックスを開けて、時に思い出してもらえるような空間になればいいなっていうことで、一番上に鏡を付けました。日本文化にある「先祖を想う」っていうことがこの箱でできるっていうのを、隠し持った意味として入れているんです。

バニティボックスは、普段制作されているお仏壇と比べて、制作してみての苦労や違いなどはありますか?

例えば黒いものは、仏壇ではあまり使わない漆の技法、古くからある技法を少し改良して考えたオリジナルの技法を使ったりしています。生の漆っていうのは茶色っぽいんですよ。それが鉄と化学反応して黒くなる。皆さんはあまり知らないけど、僕たちは元の材料までよく知っているから、それからヒントを得てアレンジしたもの・強度を増したものに至ったんです。仕上げはわざと、ザラザラになっていて、ほんのりムラになるように仕上げています。

現在、櫛田さんで3代目ということですが、これから先の技術の伝承について、どんなビジョンを持っていますか?

ビジョンというのは正直、あんまりないな。せっかく身につけた技術や情報なので、何かしら役に立てたらとは思うんですけど。昔は時代的にも仕事はいくらでもあったし、作ったら作るだけ、みんな売れた。だから僕も、きっと大きくなったらこの仕事をするんだろうなと思って育ったんです。それに、僕は手先が器用だし、作ることは好きだから職人としての仕事ができたけど、うちの息子は残念ながら、そんな能力はなさそうです。「なくなったら寂しいから、継いでもいいけどな。」、みたいなこと言っていたけどね、「そんな気持ちでやっても続かないからやめとけ」って言ったんです。ただね、この業界としては本当に貴重な情報を僕達は持っているなとは思うんですけどね。 

この時代に手でものを作ることは、櫛田さんにとって、どんな意味がありますか?

長い間使ってもらえるものを提供したいなと思ってやっています。機械化で生産できる同じものを大量に作りたいわけでもないし、丁寧に作ってお届けしたいなって思います。 

仏壇部品もプレス加工など量産技術が普及していて、「最高の技術の手作り部品」を型に、コピーしているから綺麗すぎて、逆に違和感があると思う。手で作ったものは、どこかぎこちないんだけど、人の目に優しいというか、一言で言うと飽きないんだよね。そういうものを提供したいから、うちはできるだけ手作りにこだわっています。だから隣り合う金具でも少しだけ表情を変えて作ってほしいと職人さんに頼んで作る時もある。プレス加工で何個も同じ金物を製造した物じゃないっていうところを表現したいからね。 

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