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DIALOGUE

IWATA SANBOU

岩田三宝製作所/尾張仏具/伝統工芸

江戸中期より代々受け継がれている伝統的な技法を用いて、三方(さんぽう)を中心に神仏具の製造を行う岩田三宝製作所。取締役専務で尾張仏具伝統工芸士でもある岩田康行さんにお話を伺いました。 

岩田三宝製作所さんの歴史について教えてください。 

代々神具や仏具、結納道具を作ってきまして、家系図では七代前まで遡れます。名古屋に来る前は犬山で神具を製造していたようで、それが江戸中期(約300年前)だったと聞いています。尾張地域では名古屋仏壇や尾張仏具といった経済産業大臣指定伝統的工芸品があるのですが、特に大きくなったのが江戸時代に入ってから。下級武士の内職として仕事が増え、錺屋 (かざりや)職といわれる「金具に彫金を施す」仕事が基盤になって仏壇・仏具の製造が始まったそうです。それから徐々に広がりを見せ、うちは神具、結納といった道具を専門的に作るようになりました。七代前は若宮八幡さんの氏子として神道に関わる機会が多くあり、深くこの業界に根付いていたのではないかと推察されます。  

神具「八足案(はっそくあん)」や「三方(さんぽう)」  について教えてください。 

神事を行う時、お供えものをのせる台が「三方」で、その「三方」を置くために使うテーブルを「八足案(八足台)」と言います。日本では2000年以上前から神道が育まれてきたんですが、飛鳥時代に中国から仏教が入ってきたことによって、新しい宗教心が芽生えてきた。それまで神道には偶像や経典はなく、自然の中に神様がいるという信仰だったのですが、平安時代の偉い僧侶さんが神道にも経典があった方がいいということで、平安時代から江戸時代までの約1000年かけて神道としてのベースが作られていったと言われています。 

三方の3つの穴には意味があるようですが…。 

仏教には仏・法・僧(三宝)と言われることわりがあるんですけど、それぞれの穴からことわりを聴くために穴が開いていると言われています。神道でも3つの穴から神様の声を聴くと言われていて、穴が開いている方を神様に向けることはありません。三方には向きがあり、折敷(おしき)と言われる木のお皿の部分の綴(と)じ目を神様の方に向けないように作られています。綴じ目の重ねた部分の木目が少し乱れるので、それを主となる神様に見せないように配慮されているのです。 

「三方」の三つの穴を眼像(くりかた)というんですけど、これは元々仏教のデザインなんです。白木の状態で使うと神具に、漆などで加工することによって仏具に変わる点が面白いですよね。同じ形をしていますが異なる商材で、使い方は全く同じでお供えものをのせるために使います。仏具の三方は漆や金箔、彩色を施すのに対し、神具の方が簡素というか、シンプルな状態で使われます。神様に対し嘘偽りがないことを表すために素材の良さを最大限に活かし、白木のままで使うと言われており、釘も使いません。 

釘を使わず、どのように加工するんですか? 

木の木組みだったり、曲げ木だったり、トメと言われる糊代をつけて桜の皮で綴じる。要は編み込みみたいなことをして、曲げた木を離れなくするんです。 

曲げ木の技術について教えてください。 

僕たちの行う曲げ木の技術というのは、横向きに木目があるとしたら曲げたい所に垂直に溝を入れて一枚板を曲げるというものです。板の厚みが3mmでも10cmくらいでも、残り1mm弱くらいのところまで溝を入れ、加工部分のみお湯で蒸らして木が柔らかくなったところを曲げるという技術なんですよ。薄いものから厚いものまでどんな木材でも加工ができます。 

マチ部分を綴じる作業は曲げ輪っぱでも使われている技法ですね。ただ、曲げ輪っぱは2~3mm程度の薄い材でしか加工ができないのですが、僕たちの技術は厚い材でも加工できるのが特徴のひとつ。うちには商品の型やその型を作る計算式が伝わっているので、それを元にして加工しています。紙などで残されているわけではなく、僕も祖父から口頭で教えてもらいました。 

八足案や三方に使われる材木は決まっているんですか? 

一般的にヒノキを使います。ヒノキは神道で「神の木」と言われているんです。伊勢神宮の式年遷宮で使われる材木は、日本の中でも最高位とされる木曽ヒノキです。神道は自然の中に神様がいるという信仰のため、地元の材木を使って神具を作ってきた歴史があります。この尾張の地・名古屋は徳川家康がいた土地であり、当時は長野県の木曽一帯までが領地でした。木曽で伐採された材木は木曽川を下って伊勢湾へ出て、名古屋港から堀川を上って今の白鳥庭園にある貯木場で保管されていました。加工できるタイミングになったら、名古屋城の城下町にその材木を運んで、加工していたそうです。流通経路という面でも、名古屋は木曽ヒノキが潤沢に使えるエリアでもありました。 

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