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DIALOGUE

OONOYA BUTSUDAN

仏壇の大野屋/名古屋仏壇

江戸時代の1854年に創業した仏壇の大野屋。名古屋仏壇を取り扱う仏壇屋として、百貨店から路面店、現在ではショッピングモールにも出店し、現在10店舗展開しています 。名古屋仏壇を作る各工程の伝統工芸士さんに仕事を依頼し続けることを使命とする、六代目の山田智大さんにお話を伺いました。 

仏壇の大野屋さんは今年で創業169年ということですが、創業から現在10店舗展開されるまでの歩みを教えてください 

初代は名古屋市の栄で製造小売を行っていました。交通網の発達によって地方でも小売店ができたこともあり、三代目の頃には製造卸がメインになっていったようです。そして、現社長である五代目が小売店を展開させていき、清須に店舗を持ちました。その後、2000年代ぐらいになると百貨店へ展開し、2010年代には大型の路面店舗を稲沢と北名古屋で出していきました。 

製造については創業当時から変わらず受け継がれてきたんですか? 

作り手である職人さんとは共同関係にあります。仏壇の大野屋が職人さんへ依頼して作っていただいている関係です。仏壇屋というのは、いわゆるディレクションなんです。作るもの、大きさ、漆の種類など予算に合わせた作り方を考えて、プロフェッショナルである専門職人さんにオーダーして作ってもらいます。三代目、四代目ぐらいまでは大野屋専属の職人さんがいらしたそうです。大野屋の仕事だけで生計を立てられる依頼があったということですね。それが、時代と共に依頼数が減ってしまいまして、専属で依頼できていたのは昭和40年代ぐらいまでですね。 

仏壇の大野屋さんで製造されている「名古屋仏壇」は、「八職」という専門職人さんが作られているそうですね。 

そうですね。名古屋仏壇では、一つひとつの工程を専門職の方に依頼して作っていきます。木地師、荘厳師、彫刻師、塗り師、蒔絵師、外金物師、内金物師、箔置き師の八部門の専門職人さんを「八職」というのですが、さらに天井師、呂色師、仕組師もあわせて全十一部門すべての職人さんがいなければ、一本の仏壇を仕上げることはできません。大野屋のオーダーに合わせて木地師さんが本体を作り、塗り師さんが漆を塗り、箔置き師さんが金箔を張ったものを大野屋の仕組師が組み上げて完成させていきます。 

名古屋仏壇は工程が細分化されているということですね。「八職」というのは「名古屋仏壇」ならではの特徴なのでしょうか? 

名古屋仏壇の特徴は素材や作り、華美なしつらえなど色々あるのですが、自分は分業制が大きな特徴だと思っています。 

例えば、塗り師さんは漆を塗るという「塗り」を担っているのですが、塗った漆を磨き上げることもできるんです。それを磨き上げるプロである呂色師さんにお願いする。天井師さんは天井を作るんですけど、木地師さんが「両方作っちゃいましょうか」ということは名古屋ではないんです。専門職人さんにしっかりと分けて依頼することで、その技術をより精度を上げて継続していく。そこが名古屋仏壇の特徴的なところですね 。 

仏壇の大野屋さんからの依頼を通して、守られている技術があるということですね。 

名古屋伝統工芸としてのよさは、美しさや精密さもあると思っています。プロフェッショナルを集めて、なおかつその人たちの技術を磨き上げ、継承してもらう。大野屋と職人さんとの関係性を維持することによって、一つひとつの作業をしっかりとやってもらう。そのためには、その技術だけで稼げるというのが理想だと思っています。木地師さんは木地師の仕事だけで稼げる。そういう状態を維持することが、仏壇屋としての使命でもあります。 

仏壇の大野屋さんにとって今回のプロジェクトを通じて新たなプロダクトを制作することは、これまでの歴史の中でどのような意味がありますか? 

大前提として、仏壇の文化を醸成し 、盛り上げるということはもちろんしていきたいのですが、需要がないと作れない。日本独自の繊細なものづくりの技術には絶対に価値があるので、その価値を国内外に再認識させるプロダクトがあってもいいんじゃないかなと思っていたのです。海外を視野に入れて新しいプロダクトを…と考えていた時に今回のプロジェクトにお誘いいただき、ぜひ挑戦したいと思って参加しました。 

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