← Back to DIALOGUE List

DIALOGUE

NAGAE TRADITIONAL DOLLS

長江人形店/名古屋節句飾

子どもの誕生を祝い、健やかな成長を願う高級品として大切にされてきた節句飾・ひな人形。人形の二大産地と呼ばれる東京・京都の間に位置する愛知県では、2021年(令和3年)1月15日に、人形、雪洞(ぼんぼり)、幟旗(のぼりばた)類が「名古屋節句飾」という名称で伝統的工芸品として指定されました。中部人形節句品コンクールの技術部門・企画部門で最高賞を受賞した長江人形店二代目人形作家であり、伝統工芸士でもある北川慎也さんにインタビューしました。 

「名古屋節句飾」が伝統的工芸品として指定されたのが2021年1月とのことですが、最近になって指定された理由を教えてください。 

国の伝統的工芸品として指定されるには「その地域で100年以上脈々と受け継がれてきたものが今でも続いているもの」という大前提があります。節句飾のひとつであるひな人形といえば、江戸時代に尾張徳川家の姫君たちにあつらえられたひな人形を思い浮かべる人も多いと思いますが、あのひな人形が名古屋の地で作られたとは言い切れないんです。名古屋以外で作られていた可能性がある。箱書きや名前など、100年前にこの土地で作られていた証を見つけられなかったんです。ようやく名古屋市博物館にあるひな飾りが「間違いなく100年以上前のもの」と経済産業省に認めてもらい、現代でも技術が伝わっているという系譜と技術・技法に関する書類作成・審査・最終試験を突破して、伝統的工芸品として指定されることができたのです。組合員が約40年活動を続けて、悲願が実りました。 

伝統的工芸品として指定された名古屋節句飾と、他の地域の節句人形の違いはありますか? 

伝統的工芸品として指定されたのは、人形と雪洞(ぼんぼり)と幟旗(のぼりばた)類です。ひな人形で伝統的工芸品として指定を受けているのは、ほかに京都・東京・静岡(駿河雛人形)・埼玉(岩槻のみ)ですが、名古屋の特徴は京都の華やかさと東京のシンプルさをうまく融合しているところですね。色使いや派手っぽさ、お飾りに特徴があります。元々は問屋さんに収めるために大量に作っていたのが名古屋の特徴で、作っていたのはいわゆる「職人」です。1点1点こだわって作る「作家」はほとんどいなかった。作家として名前を残すことをしていなかったことが、作られた場所・時期を特定できなかった理由のひとつですね。 

長江人形店さんは1967年創業とのことですが、具体的にどのような製品づくりをされているのでしょうか? 

創業者は妻の父である親方(長江芳彦)です。西春で人形師をしていた親戚のおじさんに、親方の手先の器用さを見初められて弟子入りしたそうです。10年修行してもなかなか独立できない人が多い中、親方は利便性のよい扶桑町で人形店を創業しました。 

もともとひな飾りは分業制で、お顔は頭師さん、屏風や雪洞の飾りもそれぞれ職人さんが製作します。うちは人形胴体部門なので、胴体製作や衣裳づくり(裁断、裏貼り、縫製)、着せ付け、腕にポーズをつける振り付けを担当しています。つまり、人形の頭・手足部分以外の工程をすべて自社で製作しているのです。細かいパーツづくりも入れると、100工程ほどありますね。 

修業期間が10年ほどで100工程もあるとのことですが、技術習得の難しさはどのようなところにあるのですか? 

私は妻と結婚後、親方の技術に魅了されて弟子入りしました。それまではサラリーマンだったんです。 修業には10年はかかりましたね。親方は「見て盗め」という姿勢ですし、マニュアル化したところで個人差があるので、そこが難しいところですね。教えようがないというか。まさに「見て盗む」しかないので、それだけ時間がかかってしまうのだと思います。 

師匠の技を見て盗んで、試行錯誤していくということでしょうか? 

練習台があればいいんですけど、材料も限られているので失敗ができないんです。特に、腕の振り付けは一発勝負。親方はチェックをしてくれますが「やってみろ。頭で考えろ」という指導方法で。親方からの最高の誉め言葉は「いいんじゃないか」ですね。すごいプレッシャーです。見て覚えて、こういう風だからこうすればできそうだな…というのを頭の中でイメージして。一度できたら後はブラッシュアップの繰り返し。行きつくところはまだないですね。完成形はないので。親方は身内の欲目でもなく本当に腕がいいんですよ。閃きや感性は真似できない。60年以上人形を作りつづけている親方ですら、いまだに「これはこうやったらいいんじゃないか」と日々発見があるようです。 

1 2 3 4