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DIALOGUE

MARUSUE BUTSUDAN

マルスエさんで製造されているのは「名古屋仏壇」ですが、そもそも「仏壇」というものはどのようなものなのでしょう。

仏壇の歴史としては、法隆寺にある玉虫厨子(たまむしのずし)が日本最古の仏壇とされています。世界の宗教をみると、偶像崇拝または、偶像崇拝禁止のどちらか多いのですが、仏教というのはそのどちらでもなかったようです。お釈迦様は「偶像崇拝はあんまり良くないよね。」と言っていただけで、禁止はしてないけど、個人的にはあんまりおすすめしない、という感じだったようです。仏教ができてから何百年かの間は、その教えが守られていて、偶像崇拝はしていなかったようです。

でも、人間って、実態がないと心が揺らいじゃうんですね。やはり祈る対象があった方がありがたみあるし、分かりやすいということで、何百年後かにインドで仏像というものが作られて、偶像崇拝が始まったっていう歴史があります。そうして仏教が日本に伝わってきた頃には、偶像崇拝が当たり前になっていました。仏像を作って、お寺を建てて、誰が見ても分かりやすいように仏教がパッケージ化されていました。

現代では、お寺からお坊さんが自宅に来ますけど、江戸の頃までは、お寺というのはキリスト教の教会のように、檀家側が通うものだったんです。でも江戸幕府がキリスト教を禁圧するために寺請制度*1というのを出して、それ以降、個人の家に仏壇が普及したんです。だから、仏壇っていうのは、自宅でもお寺にお参りできるように作られた、お寺のミニチュアのようなものでした。なので、仏壇の本質的な部分というのは、お祈りをするためのアイテムなんですよね。祈り、自分を顧みるための道具だったんです。

*1 寺請制度 江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度。仏教の檀信徒であることの証明を寺院から請ける制度。寺請制度の確立によって民衆は、いずれかの寺院の檀家となる事を義務付けられた。各戸に仏壇が置かれ、法要の際には僧侶を招くという慣習が定まり、寺院には一定の信徒と収入が保証された。

そうやって、昔は自分のことを顧みたときに、自分と先祖の切っても切れない繋がりを大切に想うという文化があったんですけど、時代と共に自分を顧みるための仏壇という部分が小さくなっていって、現代では御先祖を思い出したりするとか、供養するとか、いつの間にかお墓と一緒みたいなイメージになったっていう感じなんです。
だから、みなさん誤解されているんですが、仏壇というのは、本当はそういうものなんですよ。

「名古屋仏壇」の特徴としてはどんなところでしょうか。

具体的に他と違うのは、まず作りがすごく豪華っていう点ですね。
見た目が豪華すぎて、10〜20年前は家のインテリアに合わないから嫌だっていう声もありましたよ。金具とか、付けすぎですよね。奇抜にも見える。でも最近は一周回って、見たことがないから逆に新しいとか、興味を持ってもらえることもあるんです。

豪華になった理由の一つとしては、江戸時代に仏壇作りが始まった時に、この地域には宮大工*2がたくさんいたっていうのがあります。すぐそこに木曽川が流れているんですけど、これは長野から流れてきてるんですね。長野で木曽ヒノキっていう上質な木を切って、イカダを組んで川を流して運んだっていう経緯があって、この辺りは材木が豊富な町だったんです。それで大工さんも集まってきて、材料があり、技術も集まってきた。名古屋仏壇って「八職」って言って、職人さんが八つの専門職種に分かれてるんですけど、細かく分業化されたことで、すごいクオリティーが高いし豪華なものになっていったんですね。

*2 宮大工 神社仏閣・城郭の建築や補修を手掛ける職人のこと。釘などの金具を使わない「木組み工法」で建築物を作る、大工の中でもさらに専門性の高い職種。

あとは、この辺りは海抜が低く水害が多かったから、仏壇の位置が高くなってるんですよ。仏壇って本体と台の二つに分かれているんですが、名古屋仏壇はよその産地よりも台の部分がちょっと高くなっていて、水害が起きても本体が水没しないようにできてるっていうのが特徴ですね。

「名古屋仏壇」の豪華な作りというのは、どのように発展してきたのでしょうか。

まず、仏教には色々な宗派があり、東本願寺、西本願寺が一番メジャーです。それらの京都の本山が一番豪華な造りなのですが、その下に地域ごとの別院、さらにその末寺っていうのがあって、順番に質素な造りになっていきます。

名古屋仏壇の場合は、できるだけ本山に近づけたいという考えから豪華なデザインになっています。それから、もう一つの理由として、昔は現在よりも仏事が多くて、毎晩のようにお寺さんが家に来て、お経をあげる儀式がありました。でもお寺さんも毎晩全部の檀家の家には訪問できないから、地区ごとに、今週はこの人の家、次はこの家と順番に来て、近所の人がそこに集まるっていう隣組っていう仕組みがあった。そうすると、お隣と張り合うというか、やっぱり、隣の家よりいいものをという欲望みたいなもので、そうやって豪華な仏壇に発展してきたっていう理由もあります。

それだけ、名古屋には仏壇にお金をかけることができるお金持ちの家が多かったということなんでしょうか。

そうですね。おそらく、使うお金の中の割合が大きかったんじゃないかな。仏壇ってすごく大事にされていたんです。

ここから先は、僕の個人的な分析ですけど、昔は現代と違って、自分を上げるアイテムやコンテンツがあんまりなかったと思うんです。信仰にお金を使うのは、究極の自己投資みたいなことだったんですよね。今だったら代わりにお金を使うものがたくさんあって、例えば新しい資格を取るとか、そういう事も自己投資じゃないですか。でも昔は、仏壇がそのステータスシンボルだったという側面があったんですよ。

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