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CREATION

ANDO CLOISONNE

J.ANDO

1880年創業の長い歴史の中で、安藤七宝が培ってきた七宝の緻密で精巧な高い技術とクラフトマンシップをもちいてジュエリーのブランドを立ち上げる運びとなりました。

『七宝』とはそもそも仏教の経典にある7種類の宝物を散りばめたような美しさを意味する言葉です。ヨーロッパや中東の地域でも古くからジュエリーの装飾の一部として使用されてきました。日本では特に天保年間(1830~1844年)尾張国(愛知県西部)に住む梶常吉が、オランダ船により輸入された七宝の皿を手がかりとして、製造法を発見して改良を加え発展してきました。

ガラス質の釉薬が醸し出す鮮やかな色彩と透明性が七宝の特徴です。その七宝に新しい美学を導入し、力強いシンプルさと華麗さのバランスを保ちながら、デザイン主導で時代を超越したモダニズムのアートジュエリーの道を切り開いていきます。

伝統を身にまとう事で華やかな気分を感じられ、七宝の魅力をより理解できるようなジュエリーをお届けします。

MAKER

株式会社安藤七宝店 / 尾張七宝

尾張七宝は江戸時代の末期、尾張藩士の次男として生まれた、梶常吉(かじつねきち)によって、その基礎が作られた。梶は、オランダ船が運んできた七宝皿に興味を持ち、手に入れて研究を開始。その後、オランダに渡り、七宝を研究・製法を発見し、現在の尾張七宝(有線七宝)の基礎を作り近代七宝の基盤を作った。その後、19世紀後半の科学技術の発達や、美術工芸を取り巻く意識の高まりにつれ、七宝の技術・意匠も急速な発展を遂げた。美術界において、欧米を中心にジャポニズムの動きが興ると、世界各地で開催された万国博覧会では日本の七宝の品々は、その巧妙さ・精美さで、他の追随を許さない、日本特有の工芸品として、世界的に高い評価を受けることとなる。

安藤七宝店は、明治13年(1880年)、安藤重左衛門によって創業された。尾張七宝の元祖、梶常吉の孫佐太郎を工場長として招聘。明治33年には宮内省ご用達を拝命。パリ万国博覧会(1900年)、イギリス、グラスゴー万国博覧会(1901年)などにおいて海外進出を果たし、「J・ANDO」の名で多くのコレクターの寵愛を受けている。その七宝の名品の数々は、科学・経済の発展した現代でさえ再び製造することは困難であるとされている。

近年では、元来の尾張七宝の技術の継承と新技法の開発に積極的に取り組んでおり、その商品は名古屋および東京において世界から日本に訪れた数多くの旅行者を魅了している。また、古七宝の復元、建築関連など困難なオーダーに応えるための技術開発、後継不足などの問題によって継承が困難な加工工程の内製化・技術継承するための設備投資、若手職人の採用・育成などを進め、日本独自の七宝文化および技術の次世代継承に向けて取り組んでいる。