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DIALOGUE

ANDO SHIPPO

安藤七宝さんは明治13年(1880年)創業ということですが、約140年以上の歴史がありますね。七宝は各工程全てが専門の職人による分業で、どの工程も大変高度な技が要求される技術のようですが、長い歴史の中で全ての工程を自社で職人を抱える形でおこなってきたのでしょうか。

その辺の話はちょっと長くなるんですけども、まず、七宝っていうのは、ずっと分業制で作られてきた歴史があります。効率性とか合理性とかも考えていたと思いますし、やはり1つ1つの工程において専門的な良い技術を身につけるには時間がかかるっていうのもあるので、そういった理由で分業制になってきたと思います。ただそれは、ある程度七宝焼きっていうものが、世の中に広く使われていた時代の話です。やっぱり需要が減っていくにつれて分業制を維持するのが難しくなったという事ですね。
だから現代においては、それぞれの職人が得意とする分野、例えば施釉(絵付け)が得意な人、銀線を貼るのが得意な人、研磨が得意な人っていう専門性を持ちながらも、他の業務もできるようにして対応している形ですね。だから、仕事をしていく上でどうしてもボトルネックとなる工程って出てくるんで、そしたらそこに職人が集まってそのボトルネックを解消するような、今はそういうような流れになってます。

あともう1つ、職人を抱えてっていう件なんですけども、部品や材料を外注に出した方が当社としてはありがたい部分があるわけなんです。というのも、必要なものを必要なだけ必要な時に入れればいいわけですからね。ただ、今は需要自体がとにかく減ってきてしまっているので、そういった外注で今までお願いに出していたところが、廃業に向かってしまっているんです。外注先というのも職人さんが1人とか2人でやってたりしていて、その人がまだ元気なうちはいいんですけど、後継者がいないという問題があったんです。

で、当社で何をしたかって言うとですね、まずハード面としては、工場の移転をして、すべての工程に対応できるだけの工場を作ったっていうのがまず1つ。あとは、ソフト面でいくと、人の問題です。やはり、技術を持ってる人が年老いていくので、その技術を受け継ぐ人材を育てることが必要です。

例えば、新潟にあったメッキの技術を持った会社さんが廃業されるということで、それは当社にとって非常に困る話だったんです。でも、その新潟の職人も「社長、この技術を受け継いでくれる人がいるんだったら僕は名古屋にも行く」っていう風に言ってくれたんで、是非っていうことで、もうその設備とかもこちらに移して、それで職人にも来てもらって、今その技術をこうやって若い職人たちが受け継いでるんです。

もう1つ、川崎にあった釉薬を指す部署はコロナでちょっと厳しい状況もあってということで、その職人たちが、製品作りをしながら次の世代に技術を移してるっていう、ちょうど過渡期なんです。

安藤七宝さんの工場を見学させていただいた際に、若い女性も多くて、私が当初想像していた伝統産業というイメージと違ったので驚きました。

皆さん驚かれますね。新しい職人さんの採用っていうのは、積極的にしています。ここ10年以上にわたってやってきたことなんです。伝統工芸って、今若い人たちってやりたがらないんじゃないですかっていう質問を受けることが多いんですけど、これが実は逆でして。今、当社が技術者を募集すると、複数手が上がるというような状況ですし、向こうから当社の門をたたいて入社したような若い世代がいるので、この工場を作ったというのもあります。

安藤七宝さんでは、現在何名の職人さんが働いているんですか?

デザインも含めると今15人ぐらいいますね。上は70歳オーバーで、あとは、60〜50代が数名、あとはもう20代〜40代ですね。最近ちょうど若い人たちの方が半分より増えてきた感じです。

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