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DIALOGUE

ANDO SHIPPO

廃業した外注先をも引き受けて、技術の継承に注力されているというのは、簡単にはできることではないですね。費用ももちろんかかると思いますし、想像するだけでもすごいことですね。

そうですね。こういう力技ができるっていう理由としては、事業として先祖が残した不動産があるんですよ。だから、その不動産をうまく活用しながらこの事業をやっているっていう状況です。内製化するとどうしても設備投資、人件費だとかを考えた場合に非常にコスト高になるので、当社としては本当は避けたかったんです。とはいえ、やはり技術がなくなってしまうと、もう元に戻せないと思ってね。ビジネスとしてあるべき姿としては、需要があるから、そこに対して供給するという体制を作り出すっていうのが普通ですけど、やっぱり、伝統工芸なので、人から人に技術が移っていくものだから、もうとりあえず七宝需要減少の中でも、次世代の人材を採用して技術を継ぐっていうところからスタートです。

安藤社長が会社を継がれた経緯や、需要が減っていく中で、ご自身が次世代を背負っていこうと思われたきっかけを教えてください。

入社する前は普通にサラリーマンで、燃料系の営業をやってました。社会人の時はずっとそういう営業をやってましたよ。7年ぐらいかな。

会社を継がないかというお話があった時に、迷いはありませんでしたか。

迷いがなかったわけではないんです。先ほど不動産の事業があると言ったんだけど、当社の不動産事業って、人が大勢必要なわけじゃないから、例えばサラリーマンを続けながら、その資産だけ継ぐという選択肢もありました。でも、この会社で働く人たちを見た時に、自分が生まれてきた理由とか、使命って、ここにあるのかな、と思ったんです。

御社の歴史の中で、改めて、今回の名古屋市のプロジェクトを通じて新たにヨーロッパに向けてプロダクトを制作することは、どのような意味がありますか?

これには強い思いがあります。当社って元々はキセル屋だったんです。喫煙具って工芸品でもあったわけなんですが、時代の流れもあり、紙巻きタバコが主流になっていく中で、喫煙具の一部で使われていた七宝の商品に特化したお店を作りましょうっていうのが当社なんです。

その後七宝は海外で評価を受けて万国博覧会の華と呼ばれるようになり、発展してきた歴史があります。途中、戦中には贅沢品となり、海外との交易が閉ざされた中で厳しい時代があったんですけども、その後の高度経済成長期においては、贈答など、新しい形での業績・売上をあげてきた。しかし、この数十年間、衰退してるわけなんですよね。

うちの先祖は、ほとんどの日本人がまだ海外に出たことがない時代に未来を感じて、勇気を持って飛び出して成功したということもあるので、そこへ思いをはせるっていうのかな。僕としても、もう一度、先祖と同じではあるものの、今度はこの時代に合わせた違う形で海外に出て、七宝という魅力を伝えたいなっていうところが今回の思いなんです。

それから、業績が右肩下がりになってくると、心が疲弊しちゃう。頑張ってるのに成果が出ないって、なんかすごくアンハッピーなことであって、だから当社に携わってきた人皆んなに、そういう誇りを取り戻してもらいたいなっていう気持ちもあります。


それには、やはり新たな需要を開拓しなければいけないと。業界としても廃業や、売り上げも下がる中で、当社としてはこの七宝という技術を守りたいんだけど、当社が作りたいものがイコール世の中に売れるわけではないんです。新機軸を打ち出すにあたって、自分たちだけだと、業界の常識で固まってしまっているので、やはり外からの目線も必要だよねと。そこで今回Creation as DIALOGUEに参加することにしました。

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