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DIALOGUE

TAKEDA KAHEI SHOTEN

竹田嘉兵衛商店さんの400年の歴史の中で、今回の名古屋市のプロジェクトを通じて新たなプロダクトを制作することは、どのような意味があるとお考えですか?

竹田嘉兵衛商店としての意味、というよりもね、町全体にとっての意味があります。有松は、ずっと変革し続けてきてるというアイデンティティがあります。江戸時代に手拭いで一気に名産品になって、全国的に有名になって、そのあと浴衣に変革して、それが着物に変革したりだとかで、今は洋品や雑貨に変革しているんですね。色々な新しいものにどんどんチャレンジしてきたっていう歴史があって、うちの会長も、海外進出っていうのは何度もチャレンジしています。

そもそも有松は400年の歴史がありますが、日本の絞りという文化はもっと古いわけです。1300年前の正倉院の宝物にも絞りがあって、400年だと日本の歴史の中では後発なんですよ。

初代の庄九郎さんは、絞りの技術をどんどん開発していった。日本の絞りの産地の中でも、他との差別化を求めた。有松絞りの特徴はその種類の豊富さなんです。それは新しいことを求め続けた結果。初代がそういう考え方だから、それが今なお400年続いている。

僕らは庄九郎さんの血は引いていないけど、そういう感覚はここにいると知らないうちに携わってる。だから、新しいことにチャレンジしようっていうのは常に頭の中にある。絞りっていうのは二次加工の技術だから、色々な素材に対応できるので、そういう新しいことにはチャレンジしやすい。新しい企画にチャレンジすることは、企業としてだけじゃなくて、街全体にとって意味があると思います。

ヨーロッパで認知を上げて、そして次はもう1つのビジョンとして、ヨーロッパの方に有松に来てもらう。会長はこの町をベネチアとかフレンチェのようにしたいって言っているんです。サローネ計画っていうのを考えてる。町全体をサロンにしたいわけです。

日本のどこを探しても、有松のように物作りと、街並みが合致してるところはあんまりないんですよ。ベネチアのようにベネチアングラスがあって、街並みも綺麗で、観光して、実際商品をお買い上げになってという、そういう理想を持って会長はここのところずっと動いていて、そういう街を僕も作りたいと思います。それは夢物語かもしれないけども、それに近づける可能性っていうのは絶対あるので、Creation as DIALOGUEはそういう一連の中のプロジェクトだと思っています。

デザイナーとのコラボレーションの中で、新しい技術や、新たに取り入れた思考、視点の変化はありましたか?

そうですね。有松って昔から、自分たちがデザイナーだっていう気持ちがあるんですよ。でも、絞りに関しては詳しいけど、あくまでも生地を作るだけで、プロダクトのデザインについては素人みたいなものなんです。商売としては、生地だけだと、加工賃だから稼げないわけですね、結局プロダクトを作らないと儲からない。

今まで、プロダクトについてプロじゃないのに、プロみたいな顔をしてやっていたから、それでうまくいってなかった。外部のデザイナーにお金を投資するっていう感覚が元々なくて、それは自分たちでもできると僕らは思っていた。

絞りって、デザイナーさんもある程度絞りを知ってる人じゃないと、うまくいかないわけです。その難しさがあるから、歴史的にも外部のデザイナーに出すということをしてこなかったと思うんですけど、今回、コラボレーションしているデザイナーさんの場合は、そもそもsuzusanさんと仕事をしているっていう部分があって、絞りに関しても、普通のデザイナーさんよりは理解力がある。今回は特に海外向けの商品を制作をするってことで、やっぱり海外の状況は僕らにはわからないので、色とか、デザインとか、実際現地に住んでいるデザイナーさんの意見をしっかり聞きながら、向こうの生活にあったものづくりをできるんじゃないかなと思っています。だから、絞りの技術的なことは言えますけど、プロダクトに関しては、古川さんにしっかりお聞きしながらモノ作りをしています。

実際に今サンプルを作り始められてはいる中で、驚きだったりとか、自分たちではこれは絶対出てこないなという部分もすでに感じていますか。

驚きっていうのは特にはないんですけど、やっぱりまだまだ難しさっていうか、そっちの方が先行してるかな。デザイナーさんのイメージをどれだけ絞りで表現できるかっていうことを、今努力してるんだけど、生みの苦しみは感じています。

驚きという部分で言うと、モノ作りに関するリサーチ力はすごいなと思いました。真剣に取り組んでくださっているからこそ、難しさがあっても乗り越えていいものを作りたいなっていう思いにさせられましたね。

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