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DIALOGUE

YAMAKATSU SENKO

山勝染工 / 名古屋黒紋付染

名古屋黒紋付染を専門にする山勝染工は、1919年創業。「伝統を守ることは、変化を続けること。伝統の「黒」を守りながらも、変化を忘れない。」を企業理念に、今年で103年の歴史を迎えます。需要の減少に伴う伝統産業の危機に面しながらも、名古屋黒紋付染を通じて、日本の着物文化を残すため、現代のニーズに合わせたさまざまな取り組みを行う中村氏にインタビューしました。

山勝染工さんは今年で創業から103年になるんですね。現在は弟さんとお二人で会社を運営されているということでしょうか。

創業はひいお爺さんで、うちの弟が4代目です。弟は作る方をやって、僕が営業という形で経営をやっています。僕は会社を継ぐつもりは全くなかったんです。1回は入ったんですけど、親父とはソリが合わなくて僕は辞めました。その後、弟が会社を継いで親父と一緒にやっていて。僕は別の仕事をしていたんですけれども、親父が死んでしまいまして。そこで、やるしかないかなと思って帰ってきましたね。2013年です。会社っていうより、自分の家に思い入れがありますからね。なくしちゃいけないと思いますので。

帰ってきたときに、ちょっとほんとにやべえじゃんって、これ会社続かないよって思いました。伝統産業がやばいよねって、そういう話はよく聞くじゃないですか。でも、当事者になったら、そのやばさは痛感しますよ。もう僕は多分皆さんが思っている「やばい」を通り越しましたね。そういう状況だったので、じゃあ、それをひっくり返すには、人の進む速度よりさらに超えていかないと残れないと思って、それから約10年間、いろんなことをやるしかないっていうので、やってきました。

山勝染工さんでは現在何名の職人さんがお仕事されていますか。

今は工場長と、うちの弟の2人です。僕が子供の頃は5~6人いましたね。じいちゃんがいて、親父がいて、その弟がいて、職人さんもいました。

山勝染工さんでは伝統的な「名古屋黒紋付染」をされていますが、まず、名古屋黒紋付染について、どんな伝統的な技法を使ってモノづくりをしているのかについて教えてください。

「名古屋黒紋付染」というのは、黒紋付を作るための染めです。黒紋付自体は江戸時代後期のもので、元々は幟(のぼり)などを染めていました。要するに、黒の染の中に白く元の生地の色を残して、「紋」を染め抜くっていうのが僕らの染技法のひとつなんです。
ベタ染めは、染めの中でも究極と言えます。ムラなく無地に染めるっていうのが実はすごく難しい。まして白く抜いて、究極の黒にしなきゃいけないっていうのは、結構すごい事なんですよ。だから染めをやってる人から言うと、黒く染まってる事自体がすごい。こんな色は出ないっていうからね。

それから、名古屋独自の技法としては、金網をつけるところですね。金網をつける事で、長い時間染料につけておけます。それともう一つは、和紙です。生地を上と下から型紙で挟んで、その上に金網を乗せて、糸で止めます。水を含むと和紙の部分が膨張し、より型紙を押さえつけることでプレスされる。型紙もずれない。

紋型紙の技法は1800年代からだそうです。元々は木みたいな硬いもので抑えつけていたのが、徐々に金網に変わってきたんですね。でももうこの金網を作る職人さんもいないです。僕ら伝統産業が衰退した時に、まず一番になくなるのは道具屋さんです。というのは、僕らみたいな染め屋さんを10軒20軒と抱えて初めて1軒の道具屋さんが成り立っているので、1軒で1軒の道具屋さんは成り立たないんです。ましてや名古屋独自の伝統産業っていうことは、その地方でしか作れないんですよ。

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